西田橋の拓本全面公開を終えて

お知らせ

「西田橋拓本全面公開」無事に閉幕しました。(2022年3月23日~27日)
昨年、石文化について考えるイベントの司会をおこなったことがきっかけとなり、実行委員として約1年間準備に携わってきました。
8・6水害のことは何も覚えていない私がなぜ参加しているのかとよく聞かれました。
単純に「拓本を見て見たかったから」だと思います。
色んな思いをされた方がいらっしゃるので、こんな簡単な言葉で感想をまとめてはいけないのですが、「一般市民約3000人が、川に入って、足場に登って、巨大な橋の拓本をとるなんて何てクレイジーなんだ!見たい!」そんな感じでした。
そして、拓本の保管場所に困っているということを知り、「全面公開が話し合いや議論のきっかけになって欲しい、拓本が鹿児島の共通の財産だと感じてもらえれば、保存への声も高まってくるのでは?」と感じて、勝手ながら若手代表として役に立てることがあればと思いました。
一世代30年とすると、8・6水害からもうすぐ一世代が終わろうとしています。
水害を知らない世代の方が純粋な目で拓本を見られるのではないか、利害関係なく単に拓本を凄い作品だと思ってもらえれば保存に向けて前進するのではないか、と思ったわけです。

今回は、拓本6回目の公開の中で1番来場者が多かったそうです。小さい方や若い方もたくさん来場されていました。
大学生くらいの方に「どうして拓本のことを知ったのか?」と聞いてみると「SNSで見たから」とのこと。
検索をかけると、ありがたいことに拓本のことを多くの方が紹介してくださっていました。
これは今までにない動きだったのではないでしょうか。
トークショーでは、志學館大学教授の原口先生からは「拓本を常設して欲しい、顕彰のイベントを毎年して欲しい、西田橋はもう1度甲突川に戻せるはず」、石匠館館長の上塚先生からは「岩永三五郎は、西田橋をつくることができて技術者冥利に尽きたと思う」と嬉しいお言葉をいただきました。
岩永三五郎の生まれ、熊本県からわざわざ拓本を見にこられた方は「ありがとうと一言お礼を言いたかったから2時間半かけてきた」と目頭を熱くされていました。
平田靱負の縁で岐阜県と鹿児島県が交流しているように、石工の縁で熊本県と鹿児島県が交流できれば素敵だなと感じました。

28年前に何があったのか、そしてどういう経緯があって現在があるのか、今一度振り返ってこれからの鹿児島について考える必要があるのではないのか、アレコレ考えた1年間でした。
そして「かけはし」という言葉の通り、橋は物資だけではなく人と人とを繋ぐものです。
戦がおこると橋は壊されます。
橋がかかっているということは平和なのだということを改めて考えさせられました。
イベントは終わりましたが、引き続き拓本の保管場所を探さなくてはいけません。
西田橋の拓本は文化財だと思っています。
しかるべき場所に保管されることを願っています。

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